お気に入りの書籍紹介『遊びの現象学』


こんにちは。Gaji-Labo 横田です。Gaji-Labo Advent Calendar 2014 の5日目は、横田のお気に入り書籍をひとつ、ご紹介します。

『遊びの現象学』

遊びの現象学』という、1989年に刊行されたちょっと古い本です。1990年度 思想・歴史部門において、サントリー学芸賞を受賞しています。

遊びの現象学
「遊び」を見いだした瞬間

なぜ「遊び」?

子どもの頃、とくに誰からも教わった覚えはないのに、何かを何かに見立てて遊んだりした経験ありませんか。人も動物も、幼少期から明示的に教わらなくとも遊びを覚え、中には世代や文化や国をこえて、共通している遊びや玩具も多くあります。「遊び」はどのように発生するのか。人にとっての「遊び」とは何か。「遊び」という現象そのものについて以前から興味を持っていました。

この本の特長

この本では「遊び」という現象について、「遊び」そのものの本質的な構造を抽出して、それまで教育学や心理学、社会学、美学などで語られてきた「遊び」との違いをきわだたせようとした内容となっています。 さまざまな学者がこれまで唱えてきた「遊びとはなにか」という伝統的な理論について、ひとつひとつ紐解いてくれるので、その学者や理論を知らずとも読み進めるうちに、どのような歴史からどのような理論が展開されていたのか、体系的にではないですが、なんとなくざっくりと理解できるのがよいです。

そして、そのどれもが「遊び」の本質をとらえてはいないとして、「遊び」とはなにかという基本骨格を繰り返し定義しています。たとえば、呪術や儀式、実用の行動であったものが子どもの娯楽に堕落したのが「遊び」ではないということや、将来訪れるであろう経験に対する準備説といった理論に異を唱え、いないいないばあ、鬼ごっこ、かくれんぼなどを題材にあげながら、その本質的な違いを議論しています。

また、遊びと成果、遊びと芸術、遊びと労働、遊びとスポーツ、遊びと賭け、遊びと仮面(ペルソナ)など、多角的なアプローチでこれまでの学説を洞察しているので、気になる章を読むだけでも視座が得られると思います。

「遊び」を哲学すること

作者が繰り返し定義する「遊び」という現象の構造は、シンプルですが奥深く骨太なものに感じました。そのほんの一部を個人的に解釈しつつピックアップしてみますと、

  • 「遊び」とは、呼びかけと応答から偶然に始まり、そこには企てや意志は含まれない
  • 「遊び」とは、遊び手と遊ばれる側(他者だったり物だったり自然現象だったり) との関係と同調が、都度、持続することそのもの
  • 飽きていやになると思った時のみが「遊び」を終わらせる、だから「遊び」の本質は過程にこそある
  • 遊び手とは同時に遊ばれる者である、つまり「遊び」とは特定の行動というよりは、主客わかちがたいひとつの関係である
  • 「遊び」には隙が必要である
  • 玩具は、遊び手が「遊び」をそそのかされた瞬間に初めて玩具となりえる

…これだけではなんのことやら? という印象を受けると思いますが、もし引っかかるものがありましたらぜひ本を手に取ってみてください。

自分は飼っている猫を思いながらこの本を読んでいました。いくら猫用に作られた玩具を買ってきても、猫が見向きもしなければそこに「遊び」は存在しませんし、玩具も玩具にはなりません。しかし、かさかさ音がするビニール袋に猫が偶然、「遊び」を見いだした瞬間から、そこに「遊び」が存在し、人間はビニール袋にじゃれる猫に、猫は人間がビニール袋を振り回す動きに、互いに期待をしてたのしみます。そしてビニール袋は玩具となりえます。猫や人間が飽きた時にのみ、「遊び」は終わります。

「遊び」がなぜ類似したほかの行動や現象とは本質的に異なるかという哲学的な思考は、「遊び」という現象そのものに言及するだけでなく、これまでの体験を整理して、新しい体験を作る発想のきっかけにもなりうる…と考えています。 自分も専門ではないのでまだまだ咀嚼が足りていない部分が大いにありますが、今後も思考のヒントとして、読み直していきたい一冊です。

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投稿者 Yokota Tomoko

運用やアクセシビリティに配慮したHTML/CSSの設計やコンポーネント作成、スタイルガイドの構築、コードレビュー、組み込み、要件の整理、社内進行管理、顧客とのコミュニケーションまで、ジョインしたチームを前に進めるためにあれこれ担当しています。子育てと仕事のバランスを楽しめるよう、日々模索しています。